12時間の積算を握っていた「一人のベテラン」という時限爆弾

静岡県島田市で土木施工を担う株式会社丸紅は、多くの地方中小企業と同じ壁にぶつかっていた。工事の受注に必要な「積算業務(図面から必要な材料の種別や数量を拾い出す作業)」が、たった一人の熟練技術者に依存していた点だ。見積もりの精度を支えるのはベテランの頭の中にある長年の経験であり、図面1枚から数量を拾い出すだけで最大12時間を費やしていた。

業務の効率化が進まなかった理由は明確だ。専門性が高く「熟練者にしか判断できない職人芸」と扱われてきたため、専用ツールの導入や人を増やす形での解決が難しかった。しかし、2025年問題を背景とするベテラン社員の退職期が迫る中、暗黙知を放置することは会社の存続に関わる時限爆弾を抱えることを意味していた。

renueと組んだ丸紅は、何を・どの一工程にAIを当てたか

丸紅が取った打開策は、積算業務のすべてをシステムに任せることではなかった。AIベンチャーの株式会社renueと共同で「種別数量拾いアシスタントAIアプリ」を開発し、図面PDFから種別・寸法・数量の一覧表を自動抽出する「下ごしらえの工程」だけをAIに任せたのだ。

この一点突破により、熟練者が12時間かけて手作業で行っていた数量拾いは、わずか約10分に短縮された。作業工数にして約98.6%の削減である。さらに重要なのは、複雑な図面の読み取り手順が型化されたことで、未経験の若手社員であっても即座に数量拾いを担当できる業務体制が整ったことだ。ベテランの頭の中にしか存在しなかった技術が、AIを介して若手へ移植された瞬間だった。

約98.6%削減 数量拾い作業の削減率 最大12時間から約10分へ短縮
未経験者を即戦力化 暗黙知の技術継承 ベテラン依存の体制を解消

98.6%削減を割り引く|共同開発と最終チェックという前提

ただし、この事例を自社に当てはめる際には冷徹な視点が必要だ。「98.6%削減」という数字だけを見て、月額数千円で即日使える汎用AIツールを入れれば同じ結果が出ると考えるのは早計である。丸紅の取り組みは、汎用サービスの契約ではなく専用アプリの共同開発であり、相応の初期コストと調整期間を要している。

加えて、AIが抽出した数値は決して100%の精度を保証するものではない。誤りがあれば工事全体の赤字や欠陥につながるため、丸紅では自動抽出された数値に対し、必ず熟練者が最終チェックを行う運用を徹底している。

ベテランに属人化していた図面読み取りと数量拾いをシステム化し、未経験の若手社員でも即座に積算業務を担える教育・業務体制を構築した。
一般財団法人経済調査会『建設マネジメント技術』2026年7月号

人の手を完全に排除するのではなく、「AIが下ごしらえを行い、人が最終判断を下す」という役割分担を守ったからこそ、現場での定着と安全性の両立が実現したのだ。

うちの業種なら?属人化した一工程をAIに切り出す最初の一歩

この事例の本質は、建設業の積算という「一人の頭の中に閉じ込められた暗黙知」をAIで若手に手渡した構造にある。この原理は、他の業種にもそのまま応用できる。例えば製造業における見積作業の標準化や、士業における過去の契約書からの条件抽出、飲食・小売業における過去の販売データに基づくシフト下書き作成など、特定の一人に偏っている「下ごしらえ作業」はどの現場にも存在する。

人手も予算も限られる中小企業が明日から動くべき順番は、高額なシステム開発を検討することではない。まずは自社で最も属人化している業務を1つ切り出し、汎用AIで下準備を試すことだ。

1週間試して時短の手ごたえを得られて初めて、有料版の検討や自社専用ツールの開発という次の投資へ進めばよい。間違えても安全な社内用の下書き作成から始めること、そして撤退ラインをあらかじめ決めておくこと。これがリスクを最小限に抑えながら技術継承を進める、中小企業のためのAI活用術である。

出典 / SOURCES

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