月32時間の資料作成が、なぜ放置されていたか

採用支援事業を手掛けるトラコム株式会社では、月次レポートの作成や各種マニュアルの整備といった資料作成業務に、毎月32時間もの莫大な時間が費やされていた。なぜこの非効率な状態が放置されてきたのか。理由は「担当者ごとに作成手順が閉じていた」「専用の業務ツールを入れる予算も人員もない」という、中小企業が共通して抱える構造上の問題にあった。

痛みの本質は時間の消費だけではない。レポート作成に時間を奪われることで、顧客への提案準備や個別フォローといった、人が直接向き合うべき重要業務が後回しになっていたのだ。非効率が見えていながら手を出せなかったのは、業務手順が特定の担当者の頭の中にしか存在せず、マニュアル化する暇すら惜しかったからである。

一般的な企業がAIツールを導入しても、多くは「詳しい社員が自分のパソコンで使って終わり」という個人技で止まってしまう。アカウントを全社に配ったところで、AIへ適切な指示を投げられる社員は一握りだ。トラコムでも導入初期は一部の担当者のスキルに依存しており、ただツールを配布しただけでは会社全体の残業削減や属人化の解消には届かないという壁に直面していた。

月28時間減 資料作成の削減時間 月32時間→4時間に短縮
10分に短縮 マニュアル作成時間 従来2時間から削減
1〜2日短縮 月次締め処理期間 従来3日間から短縮

効いたのは時短より『プロンプトを1箇所に集めた』こと

トラコムが達成した資料作成時間の月32時間から4時間への短縮(月28時間の削減)という実績。その裏側にある本当の勘所は、高度なツールの開発ではなく「運用の順番」を整えたことにある。同社の導入支援を行った株式会社boom now代表の西川彰氏は、現場の社員が試行錯誤して生み出した「効果の出た指示文(プロンプト)」を社内共通の仕組みへ集約する運用を設計した。

この仕組みにより、AIの扱いに慣れていない社員であっても、集約された指示文を呼び出して条件を入力するだけで、熟練者と同等品質の下書きを即座に作れるようになった。結果として、月次レポートの作成時間は月10時間から3時間へ短縮。マニュアル作成時間にいたっては2時間からわずか10分へと短縮された。

さらに、月次締め処理の期間も従来の3日間から1〜2日間へと大幅に縮小された。特定の担当者に集中して業務が滞っていたボトルネックが解消され、組織全体で業務がスムーズに回る体質へと変化したのである。入力されたデータがAIモデルの学習に利用されないセキュリティ環境を完備した上で定着させた点も、社内の安心感を高めた。

生成AIを一部社員の「個人技」や手作業補助に留めず、現場で作成されたプロンプト(指示文)を社内共通アプリとして集約・共有することで、業務プロセスの変革と属人化の解消が実現できる。
西川 彰(株式会社boom now 代表取締役 / 2026年9月24日 導入事例発表より)

この共有が効かない条件と、ぶつかりやすい壁

ただし、この事例を自社に取り入れる際には「この手法が効かない条件」と「最初にぶつかる壁」を正しく理解しておく必要がある。まず前提として、扱うデータが毎回まったく異なり、指示の形式をパターン化できない非定型業務にはこの共有手法は向かない。決まったフォーマットや構成要素が存在する資料作成だからこそ、指示文の再利用が効果を発揮する。

また、最大の落とし穴は「共有の箱を作っただけで満足し、誰も投稿しない」という状態に陥ることだ。「誰かが良いプロンプトを出してくれるだろう」という他人任せの空気があると、共有場所はすぐに形骸化する。導入初期は、経営者や推進役自らが週に1つ「実際に業務が楽になった指示文」を投稿し、具体的な削減時間を数値で示して見せることが欠かせない。

もう一つの壁は、セキュリティへの配慮不足による現場の不安だ。情報漏洩を恐れて現場が使用を躊躇しないよう、会社として「入力してよい情報と禁止する情報」の境界線を明確に示しておくことが、定着への隠れた条件となる。

無料の表1枚から始める、個人技を全員技にする手順

トラコムでは共通アプリの構築によって集約を実現したが、中小企業がこれを再現するにあたって特別なシステムを購入する必要はない。GoogleスプレッドシートやExcelの共有ファイル1枚があれば、今すぐ全く同じ原理を再現できる。重要なのはシステムの豪華さではなく、「個人が発見したコツを全体に回す仕組み」そのものだ。

手順は極めてシンプルである。第一に、社内で最も資料作成が得意な社員やAIに関心のある社員1名を選び、特定の定型業務で指示文を試してもらう。第二に、成果が出た指示文を共有スプレッドシートに「業務名」「プロンプト文面」「入力データのサンプル」「出力結果の例」の4項目で記録する。第三に、他の社員がその指示文を使って自分の業務を処理する。

これにより、個人技だった作業手順が可視化され、担当者が不在でも他の社員が代替できる状態が生まれる。「退屈な資料の下書き作成はAIへ、完成した資料を使った顧客との対話という熱狂は人へ」という役割分担が、現場で自然と機能し始めるはずだ。

最後に、やめどきの判断基準もあらかじめ決めておく。「1週間試して、作業時間が半分以下にならない指示文」は型化に失敗しているか、そもそもAIに向かない業務だ。その指示文は潔く取り下げ、別の定型業務へ切り替える。撤退基準を定めておくことで、現場は恐れずに小さく試すことができる。

出典 / SOURCES

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